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祇園祭

毎年七月二十三日~二十九日にかけて、祇園祭が執り行われます。

祇園祭の歴史

この地域における祇園祭のはじまりについては、詳しいことはわかっておりませんが、おそらく越後国府時代(平安中期長元年中)であると思われます。以後、当社は歴代国司の崇敬厚く府中祇園社と呼ばれ、武門の神様として崇められ、悪疫退散、無病息災を祈念するために祇園祭(祇園御霊会)を行ってまいりました。

祇園祭が文書としてはっきりと残っているのは、当社に伝わる元和四年(一六一八年)の高田城主酒井忠勝の寄進状です。内容は奉行氷見志摩守より「殿様より恒例によって祗園会には御供米五石をやるから懇ろに国家安全を祈るように」というものです。これにより、それ以前から祇園祭が行われていたことがわかります。

慶長一九年(一六一四年)の福島城廃城から高田城移転の際、直江津の殆どの寺社仏閣が高田へ移りましたが、当社は初代高田城主松平忠輝公に願い出て、朱印地をもらうかわりに高田に出張して祇園祭を行うことを許されました。そこで毎年旧暦六月七日に高田市中で神輿渡御を行い、七日間仮宮で国家安全、家運長久の祈願祭を執行し、十四日再び市中渡御、夜に高田より船で直江津に還御されました。

現在は七月二三日に直江津より陸路で神輿が高田へ向かい、二六日まで高田祇園祭、二六日夜に直江津へ戻り二八日に御本殿還御祭、二九日に御饌米奉納が行われる流れとなっております。

神輿の川下りは祇園祭のひとつの行事でありましたが、昭和中頃より一度中止されておりました。平成三年(一九九一年)に一部が復活し、現在では二六日夜に迎え花火が打ち上げられ一九町内の屋台(山車)が迎える中、川下りが行われます。

「直江津・高田祇園祭の御旅所行事と屋台巡行」は、平成二九年三月二一日に新潟県により無形民俗文化財に指定されました。

昭和三年の神輿渡御の様子

現在の御神輿

祇園祭の概要

七月二三日
八坂神社にて発輿祭(はつよさい)が行われ、神輿が高田陀羅尼八幡宮へ陸路で向かいます。
七月二四日
高田市中にて神輿渡御、屋台巡行が行われます。
一九時頃より高田仮宮(御旅所)にて、神輿宮入りが行われます。
七月二五日
高田市中にて屋台巡行が行われます。
御旅所にて中日祭(なかびさい)が行われます。
七月二六日
高田市中にて神輿渡御、屋台巡行が行われます。
一八時頃より稲田橋河川敷より神輿の川下りが行われます。
同じ頃、直江津荒川橋に屋台が集まりはじめ、迎え花火の中二〇時頃より直江津に神輿が戻り、神輿渡御が行われ、仮宮(御旅所)への神輿宮入りが行われます。
七月二七日
直江津市中にて神輿渡御、屋台巡行が行われます。
一八時半頃より直江津仮宮にて、御旅所還御祭が行われます。
七月二八日
直江津市中にて神輿渡御、屋台巡行が行われます。
二〇時頃より八坂神社にて神輿が本殿に戻り還御祭が行われます。
還御祭の後、神輿が神輿殿に納められます。
七月二十九日
直江津市中にて屋台巡行が行われます。
一四時より八坂神社にて、例大祭が行われます。
一九時より八坂神社にて、直江津一九町内による御饌米奉納が行われます。

陸路で高田へ向かう御神輿

御神輿の川下りの様子

屋台巡行の様子

御饌米奉納

直江津祇園祭につきましては、直江津一九町内の青年会をまとめる団体「直江津地区連合青年会」のホームページにて詳しく掲載されておりますのでご覧ください。

直江津祇園祭ホームページ